呉明憲コンサルタントの中国ビジネス日記

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその2

私「え!それどういう事です?」

M「つまり、赤痢患者の密告さ。お互い便を見合って便の柔らかい人は赤痢の疑いあり、という事で帰国はすぐできない、と言う事になってしまう。人間極限状態になったら、性欲なんて吹っ飛んでしまう、と森繁さんは言っているね」

私「Mさんの家族も同じ様に酷い目に遭われたんですか?」

M「詳しく聞いていないが、先ほど言った断髪、黒いお化粧、出刃包丁は持たされた、と言っているので、結構ストレスが大きかったと思うよ。引き揚げる途中、中国人から“子供を日本に連れて帰るのは大変だから、私に預けなさい。落ち着いたら迎えに来たら?”とあちこちから言われたそうだが、それは断ったと。もし子供を預けていたら、例の残留孤児となって相当後に子供は帰国するが、その多くは日本では心身共に苦しい生活を余儀なくされている。瀋陽は首都であり、此処から港の葫蘆島に鉄道で行くのでそれほど難儀ではなかった様で、しんどかったのはハルピン、新京からの引揚者。瀋陽に到着するまで、財産を叩き、子供も中国人に預けざるを得ない状況であった。クタクタのしんどさであったでしょうね。私の会社の同期の人ですが、戦前新京で木材加工会社を経営。大きな会社だったらしく、羽振りも良かったでしょう。それが、終戦を境に一転、財産は全て処理、機械、設備は全てソ連または国民党に没収された。で、一家は何と朝鮮半島を辿る事にした。今の北朝鮮で私の同期の人は生まれた。もちろん当時の頃は記憶にないが親は彼の小さい頃引き揚げの苦労話をしていたそうだ。朝鮮人の日本人への反感は物凄く、あちこちで嫌がらせとかに遭ったそうな。こちらも大変だったね。

 

 今から7-8年前会社同期の人達総勢6名かな、中国東北地方を巡る旅に出かけ、長春では私の同期の人のオヤジが経営する木材加工所の跡地を探しに行った。見つからない!私は単独に少し歩いて年老いた中国人に“1945年以前、この辺りで日本人が木材加工所を経営していたと聞いているが、それは知っているか?”と尋ねたところ、その人は“確か昔親から聞いた事ある。確かあの辺りだろう”とマンションの建設されている場所を示した。同期の人はそれで納得した。この他、彼は今も生存する叔母さんから女学校の場所も地図で教えて貰い、そのとおりに行ったらこれはそのまま残っていたので、彼は大喜びであった。まあこんな話だなあ。

 

 この時の旅は大連、ハルピン、長春、瀋陽と回った。各地で中国人のガイドが付いた。ガイド達は勿論日本語はペラペラ。一様に中国政府、共産党を悪く言っていた。特に痛烈なのは長春のガイドで、“日本が中国を侵略したのは、理解できますよ!”日本は本当に良い国ですよ“と以前訪日した時の好印象語っていた。この長春市内見物をマイクロバスでしていたところ、隣の車と接触した。軽い衝撃あり、マイクロバスは少し傷を負った。運転手が下車して相手の車の運転手に文句を言った。車上から二人のやり取りを見て、ガラス通してからは何を言っているのか不明で、しかし嫌に長いなあ、と思った。ガイドが下りてガイドもグチャグチャ話している。漸く終わって二人は戻って来て、我々は”遅かったなあ。何があったんだ?“と尋ねたところ、ガイドは”ウチの運転手が文句を言ったところ、相手側は“オレのオヤジはどこそこの共産党委員会の主任だぞ”と脅しをかけ、暗に“アキラメロ!”と言う素振りで、これに頭に来た我が運ちゃんは、相手に“一発殴らせてくれるならアキラメテやる”と言い、そのやりとりをして長くなったそうで、結局ガイドが取り持ち、不満はあるがお開きとなった、と言うハプニングが有った。確か当時かな、全国的に流行り言葉が有ってそれは“我爸李剛”という言葉。意味は私のオヤジは李剛というもの。ドラ息子が交通事故起こし相手に傷を負わせた。相手は補償せよ!と迫ったら“わしのオヤジは李剛だ”と言って相手を黙らせると言う親の権威をものに相手を黙らせる事をして、全国的に非難ごうごうが沸き起こったのであった。同じ様な事が我々にも起こった訳。

 

 そうだ!私の生まれた瀋陽でも小さなハプニングがあった。前、言った通り祖父が兵器工場を経営していて、その会社は一時ソ連が接収してその後国民党、共産党へ移った。その後の名前は黎明精密機械公司と言う名前に変化して今は黎明なんとかになっており中国兵器工業部参加の有力企業になっている。祖父の経営していた会社なので親近感が湧いて来てガイドに“門から見た会社の写真を撮っても良いか?”を尋ねたところ、“いいですよ”と簡単に返事をしたので私は写真を撮っていた。しかし急に守衛が来て早口で怒った様な口調で何か言いだした。ガイドは“写真撮るな!カメラを渡せ!と言ってますよ”と言っている。私は“アンタが撮影問題ないと言うから撮ったのだ!”と反論、“悪気はない。祖父が経営していた会社故、これも何かの縁と思い、撮影した、はるばる日本から来たのだ”と説明してやってよ、とガイドに言って何とか事なきを得た。当時は尖閣の問題で4名の日本人社員がスパイで拘束されたので、こちらも一瞬ヒヤットしたがね。この会社は中国有数の精密加工会社になったが、やはり戦前日本人から薫陶を得た中国人は物つくり精神を発揮して、心を込めて品物を製作したんだろうね。

 

 さて、話が横道にずれましたが、ソ連またはロシア/中国との関係、の話をしましょう。ソ連/中国が戦後友好同盟とか言っており、最近でもその様な事やっているが、ソ連もしくはロシアと中国は絶対に仲良くならないだろうな。中国は何度もロシアに煮え湯を飲まされたり、国境紛争、義和団事件でのロシア兵の残虐さ、戦後のソ連から援助貰っていた頃のソ連人の態度のひどさなど、代々語り尽くされているので、不信感は絶対にぬぐえない。参考まで言うと義和団事件での日本軍の対応は教科書に載る様な見本的な態度。指導者は“柴五郎”大佐でこの人は会津戦争で官軍に敗れた人。しかし武士としての誉は高い。故に日本軍は統率が取れていて、現地住民に尽くしたそうだ。また、森繁さんは言っているのだが、満州人と朝鮮人は犬猿の仲との由。日本敗戦後、現地のタガが外れ両民族の対立が表面化、あちこちで衝突は起きた由。これは現在でも中韓の関係の悪さに影響しているのだろう。ちょっと、長くなったね。」

 

私「いや、日本敗戦で引き揚げの苦労話なんてめったに聞けませんので有難いですよ。もっと多くの日本人が知るべきですね。教科書に載せればいいのに、と思っています。ところで中国の今の指導部は習近平をトップに腐敗運動追及をしていますね。これに就いてMさんはどうお考えでしょうか?」

M「あれは、完全に茶番劇ですな。又権力闘争のために大衆受けする腐敗追及をしているのです。中国では有史以来賄賂がはびこり、之は絶対に無くならないものなのです。賄賂は至る処で見られます。」

 

続く


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