呉明憲コンサルタントの中国ビジネス日記

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その7

前回のはこちら。

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その6

 

M「先ほど言いましたが、中国とのビジネスの特徴は後でお話します。中国の大陸風土、歴史などの要素が影響している様ですね。大連では仕事が終わると中国室の先輩と共に部屋で一杯やって中国に就いて色々教わったね。その人は小生より7歳上の人、確か中国の吉林省通化の生まれで、その後青島で育った。故に中国の事は良く知っていたね。面談出来るか否かは中国側担当者の都合で決まるので、時間が空くと海岸へ行ってビールを飲んだりしたね。そうだ!土日を利用して自分の生まれ故郷の瀋陽を訪問したなあーー。親が地図を書いてくれたので、今なら高速道路で3時間で行ける処を、一人で列車に揺られ、片道6時間かけて瀋陽に行ったね。勿論中国の列車を乗るのは初めて。当時の中国は電気機関車とかディーゼル車は無く全てSLで、因みにこのSLを中国語では“火車”と言うんだ。じゃ、日本で言う汽車は何か?此れは自動車を表す。“汽車”の“汽”は蒸気を表す。サイダーの様な炭酸水は汽水と言うね。ごめん、話が横道にずれた。瀋陽の話だね、瀋陽の駅に到着、この駅は東京駅にそっくりで、後で聞くに満鉄の総裁に東京市長を務めた後藤新平がなった時期あり、彼がそのそっくりを作ったと言われている。また大連駅は上野にそっくりで、今でもそのまま残っている。昔は特急アジア号と言う日本製SLが時速100KMでこの満鉄を走ったんだね。前回お話したが、会社の同期と以前中国東北地方を旅した時、大連でこのSL“特急アジア号”の現物を特別見せて貰った。大きな鉄の塊で迫力を感じる。今から70年以上前にこの大きな塊が満州の平原を走っていた、何となくロマンを感ずるね。また話が横にそれた、ごめん、それで、瀋陽の駅到着したら、現地ガイドが列車が着いたその降り口まで来て迎えに来ていた。現地で案内人に親が住んでいた場所、即ち私が生まれた場所に案内して貰って行ったが何も残っていなかった。戦後の国共内戦で市内は徹底的に破壊された様でね。残念でした。ただ、祖父が社長していた会社が残っていたので、外から写真を撮って帰国後祖父に見せた。大いに喜んでいたね。この会社が前回話した黎明なる会社で小生が数年前訪問して同じく写真撮影したら、物凄い剣幕で怒られた事は話したよね。」

 

私「瀋陽に一人で行かれて、不安は有りませんでしたか?英語は通じましたか?」

M「不安は感じませんでした。列車はコンパートメント型、各部屋に仕切られており、私の部屋には確か大連外語学院の徐さんと言う日本語の先生と、静岡から来た大学の先生が一緒で私は徐さん達と雑談しながら、色々と教えて貰いましたよ。確か中国語の基礎を教えて貰った様な気がするがーー。今から3年前、大連外語学院に行く用事が出来て、そこの院長と食事した際、この徐さんの消息を尋ねたら、後年副院長にまでなったそうです。で、話は戻りますが瀋陽ではホテルで食事後、お茶を頼むのに苦労しましてね。私の覚えたての中国語が全く通じない。標準後で“請給我茶水”と普通言いますが小生は茶水のみを言った筈が全く通じない。主人が気を利かせて鉛筆と紙を持って来てくれて、漢字を書いたら、“なあーんだ、茶か!”でこのトラブルは終わりになりましたね。中国語は発音と声調が極めて重要と、思い知った次第ですね。 季節は夏で大連より相当北にあるのですが、結構暑かったですね。但し冬は零下25-30度になるそうだ。母が言っていましたが、当時は住宅は水洗トイレでなく、汲み取りで、大きいのをしたら、暫くすると凍ってカチカチになってしまう。それが回数続くとピラミッド状になり、しゃがむと直ぐ下に有り、つっかえてしまう。で、各家庭では寒い日なのに外へ出てトイレの下に在る窓を開けて、このピラミッドを崩して平たんにする事が冬の大切な仕事であったそうです。これは自宅以外、公衆トイレでも同じ様に外の窓を開けて自治会が輪番制で各家庭がピラミッド崩しをしたそうです。大変な作業ですね。」

 

続く


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