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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その6

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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その5

 

私「何故ですか?日中の貿易は今や日米貿易を抜いてトップになっており、考えられません。」

M「今から約40年前の中国はようやく国が開けてきた段階。“井の中の蛙”と言う感じ。特に日本とのビジネスとなると、日本は品質がメタメタ厳しい。しかし中国は品質の不安定さ以外に納期、包装などでも大いに問題有りで、日本のユーザーも価格が幾ら安くても二の足を踏むでしょう。安い買い物でも結局は高く付くのです。今とは隔世の感が有りますね。ついでに言うと中国の輸出が猛烈な勢いで伸びて来ましたが、これはね、外資系企業が中国で製造を始めて、その技術、品質管理、経営面などで中国企業を指導し、中国人社員を教育した事などが大きく作用しているね。で、中々商売が決まらない、2週間滞在しても成果ゼロとはーー、と落ち込んでいた処、A商事の100%別会社より2,4DNCBという商品240トンと言う大量引き合い有り、これ土壇場でまとめた。ほっとしたのを覚えている。この後北京に行き、中国化学工業部とA商事との合作案件の商談にオブザーバーで参加して帰国しました。この成約した商品2,4DNCBはその後日本側よりキャンセルの話が出て、此れの処理でその後も大変であったけどね。」 (さらに…)

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私「へー!そんな事があったのですか。中国ではいろんな誘惑があるとは聞いていましたが、油断大敵、気を締める事ですね。私も注意します。特に赴任地の広東は地元の書記自身が嘆いていますよね。“広東は汚染されている”、って。」

M「この様な話は往々聞いたね。某製鉄会社の現地幹部も同様の女性問題を起こして留置場に入った。簡単に出してくれない。マスコミが気になる。中国の公安当局は社長の一筆が欲しいと言うので、本社では社長を拝み倒して何とか一筆を貰ったという話も聞いたね。中国側は中国人を侮辱したと映るので、いくら抗弁しても女性の言い分を認めるさ。男性の方は中国語もママならず、不利となるのは当然でしょーー。と、言う事で話は戻りますが、I商事は中国関係の人材は豊富で、多士済々の情況ですね。小生の先輩、後輩は中国好きな人が多いのです。この状況が中国ビジネスでは他社を大きく引き離している理由でしょうね。ごめん、話が大幅に横道に逸れたね」

 

私「いや、中々興味深いお話で思わず聞き入ってしまいました。で、色々準備されて大連に1979年夏に行かれた。今から38年前の事ですね。私が幼稚園に行っている時でしょうね。当時の中国、大連はどの様な雰囲気でした?」 (さらに…)

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私「その自衛隊基地襲撃、って私が生まれた時かな。初耳ですね。割腹ななんて、要は切腹ですよね?凄い事件でしたね。で、その後輩はその後どうしました?」

M「彼が入社した時かな、大陸の中国と日本は国交を樹立して、彼は大好きな台湾には行けず、大嫌いな大陸に行かされる事になったのですね。上海、大連に駐在しましたよ。大連で彼は当時の市長“薄熙来”の知遇を得て大連のビジネスでは大いに名を挙げたのです。この“薄熙来”氏はその後遼寧省書記、重慶市書記を歴任しまして、当時は将来国家主席になると言う見方さえあり、正に飛ぶ鳥の勢いが有りましたが、今の習近平主席との政争に負け、結局逮捕されて、政治生命を終えていますね。その薄熙来氏にI商事は大変お世話になり、その中の一つがI商事主催の大連ファッションショーで、これは中国東北地方の一大イベントになり、I商事の繊維部門はこのイベントのお蔭で大いに販路を拡大しましたよ。この薄市長にはこの後輩は仕事以外プライベートでも“大変”お世話になりましてね。」

 

私「何ですか?その、“大変”と強調されたのは。何か佳い事をして表彰されたのですか?家族ぐるみのお付き合いで、共産党幹部が利用する高級施設を無料で利用出来たとかーー。何でしょうか?」 (さらに…)

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私「分かりました。チベットの問題は奥が深そうですね。さてその中国通ですね、その人は今どうしているのですか?中国駐在でしょうか?」

M「彼は、数年前にガンで亡くなったのです。齢50過ぎの早すぎる死でした。私は北京駐在の時一緒でしたが、酒、あの中国の強い酒をドンドン飲んで、よく騒いでいましたね。その無理がたたったのでしょう。惜しい人を無くしましたよ。私が上海から北京に引っ越して来て、その晩、彼の北京の社宅で小生に、夕食を御馳走してくれました。上海では荷造り、など全部自分で行い、食事もままならぬまま北京に飛んで来て、彼から“夕食、良かったら我が家でしません?”と誘いが来て、小生有難く受ける事にしたのだが、彼の奥様が作ってくれた本格的な和食が、ことのほか美味しかった。小生は空腹で調子に乗ってご飯を何べんでもおかわりをしたら、とうとう電機ガマのご飯が空っぽになって、彼の小さなお嬢ちゃんが“ご飯、無い”と泣き出す始末で、これには小生、お嬢ちゃん、奥様に平謝りに謝った、と言うことがあったね。懐かしい、しかししんみりとした思い出だよね。また小生の属する化学品部門の後輩ですが、見るからに中国人風の人がいまして、この人が北京滞在中は私も一緒でしたが、北京飯店でトラブルを起こしたのですな。どういう事かと言いますと、日本から来た客人と北京飯店で待ち合わせをしていたのですが、その後輩は寝坊して起きた時は時間を超過していたんだね。顔を洗わず粗末な服で北京飯店に駆けつけ、中に入ろうとしたら、ガードマンに呼び止められ“中国人は帰れ!ここは、外国人専用だ。中国人は立ち入り禁止となっている”と居丈高に言われた。彼は“俺は日本人だ!中国人じゃない!と大声で言ったのだが、彼の話す中国語は全く中国人と同じ、しかもボサボサの髪、無精ひげ、粗末な服、誰が見たって中国人である。ガードマンは”それなら、パスポートを見せろ!と言ったのだが、慌てて来たので持っていない。いかんともし難い状況で次第にやりとりがエスカレートして声は益々大きくなって行った。彼の客人はロビーで待っていて、“入口は妙に騒がしいなあ”と思って、よく見たら、会うべき人が中国人と騒いでいる。“これは直ぐ行って止めなきゃ、大変な事になる!”と感じて、大急ぎで現場に行き、事情を説明して、一件落着した、と言う詰まらん話もあるね。この外、私の3年後輩の中国室の人がいるが、この人は学生時代、“楯の会”に所属していてね。」 (さらに…)

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その2

私「そうですか。30にして立つ、ですね。で、大連行き出張が決まって、訪中の準備ですね?当時の中国に就いて周囲の人はどの様なイメージを抱いていました?」

M「改革開放から時間が経っておらず、情報量は今と比べ極端に少なく、具体的なイメージを抱く事は不可能の状態でしたね。それで、Tさんのアドバイスでわが社の東京の中国室にお邪魔して詳細を聞くことにしました。そのセクションにはTさんの同期で東京外大出たOさんと言う人がいましてね。この方に色々教わりました。後で分かりましたが、このOさんと言う方は学生時代の中国語の学習方法はメタメタ自分に厳しいやり方で、中国の新聞を、と言っても当時は台湾の新聞でしょうが、これを一面から大きな声で読む、不明な部分は当然辞書でチェック。この習慣を毎日続けたそうです。凄いことしてはったんだなあーー、常人には絶対真似できない、と感じましたよ。この音読法は昔小学校では皆経験して、声が良くなる、内容が理解できる、姿勢が良くなるなど長所が沢山あります。」

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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました

ちょっとお休みしておりましたが、商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました、をスタートさせます!

 

 一昨日の夜は9時30分頃に終わった。本町の居酒屋はその頃は我々以外に客は無く、遅くなって何かせかされる様に出て来た感じであった。Mさんも私と3時間以上話をしてお疲れの様子であり、私は自分のわがままをMさんに聞いて貰って何か申し訳無い気持ちがした。今日は金曜日、私は天六のマンションに住んでおり、今日は場所を変えて私の住むマンションの近くの、天六商店街の飲み屋でお話を聞くことにした。なお退社する前に一言相談役にも連絡しておいた。「分かった。MさんからT君の方へ昨日連絡があってそのT君から私に今日連絡が来た。“本町の居酒屋で一杯やりながら中国談義をした”とね。君は熱心に聞いていたそうだ。Mさんの話を聞き終わったら、要点でもいいから、私とか幹部に講釈してくれよ。」と言われ、相談役はじめ皆が私の事に気に懸けてくれている、有難い事であるが、少々窮屈な感じもした。あまり、Mさんにご迷惑を与えたくないので、今回と次回、合計3回でこの聞く会を終わりにしたいと、思っている。第一回の話は内容があちこちに飛び焦点が定まらぬようであった。しかし、戦争直後のどさくさ、辛い歴史は学校では習わなかったので色々勉強になった。大陸で頑張ろうとした多くの日本人は夢破れて散々な目に遭って命からがらで帰国したわけである。そう言えば私の祖父は中国東北地方に兵役で駐屯、終戦の時、ソ連に連れて行かれたそうだ。祖父は抑留の模様を話さないまま、あの世に旅立ってしまった。その辺りの情況もMさんに聞いておくべきであった。戦前多くの日本人が中国に渡ったが、結局夢破れて傷心の帰国をしたのである。彼らは国策の犠牲になったのであろう。この戦前の日本の行いが今でも、中国、韓国で歴史認識の相違で度々問題になっている。戦前の歴史に就いて日本の中学、高校では殆ど教えない。私も詳細は知らない。しかし、中国、韓国の若者はよく知っているそうだ。彼らと近代史を話しても日本の中高生は近代史を学んでいないのでついていけないそうである。この辺りの問題は後日お話をお聞きする事にして今回はMさんの中国でのビジネスの事を語って頂こうと思って、例によって一杯やりながらお聴きする事にした。

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復活した順風車サービスを利用しました

運転手が乗客を殺害した事件が発生したことがきっかけで配車サービスプラットフォームのdidiでサービスが取りやめとなった順風車、アリババ系列の哈囉出行で復活してます。順風車とは、相乗り主体のサービスで、通常のライドシェアとは異なります。とはいうものの、相乗りは嫌だと最初の段階でリクエストすることもできるので、ライドシェアとの区別がわかりにくくなりますが、ライドシェアだと発票を発行してもらえますが、順風車だと発行してもらえないという違いがあります。もう一つの違いは値段が大きく違います。

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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその9

私「中国が漢字を作った。中国が色々な単語を作った。なのに日本が漢字の語彙を考案して中国に教えた、と言う事ですか?

それは知らないですね。大多数の日本人は知らないでしょう?」

M「そうだね。この事実は余り知られていない。例えば今の国名“中華人民共和国”この名前で日本が考案した語彙は人民共和国。昔の中国には中華という概念は有ったが人民、共和、国と言う概念は無し。故に日本が明治時代、高名な学者、福沢諭吉、西周、中江兆民、森有礼などが西欧の辞書、学術書などを読んで新しい,相応しい言葉を発明して中国に紹介したんだ。非常に多数有る。外交、安全、環境、労働、衛生、法律、規則、哲学、戦争など非常に多い。さて、話が逸れたが食品の東京から来た後任の人は広州赴任なのに、郭沫若を知らない。」

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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその8

私「中小企業の状況は分かりました。大手企業はどうでしょうか?」

M「色々有るね。私の出身母体の先ほど言った商社は先進的で、現地社員を大いに抜擢している。今や日本人社員の上司は中国人と言うのも珍しくない。私の存じているその中国人社員は上海法人の部長をしており、南京の人で日本語は勿論ぺらぺら。前の社長が南京訪問した時通訳したが、社長もその流暢さに驚いていた。この様な人はドンドン伸びて行く。中国人社員が上司になり、下に日本人が居ると言うこの姿は極めて当たり前なのだが、他社大手企業もその様であるので、珍しくない」

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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその7

私「難しい問題ですね。日本では優秀即不正はしない、と言う暗黙の了解が有りますが、中国は先ずは不正をするとみて対処すべきでしょうか?」

M「道徳、倫理の観念が薄いね、中国の社会は。故に個人で防衛すること。仕事を任せるという事は自分が責任を持つ事で、要は常に仕事振りを見ている事。電話を注意して聞くとか、外出は何処にどれだけの頻度で行っているとか、本人にはちゃんと見ているぞ!と思わせる事だね」

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