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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその9

私「中国が漢字を作った。中国が色々な単語を作った。なのに日本が漢字の語彙を考案して中国に教えた、と言う事ですか?

其れは知らないですね。大多数の日本人は知らないでしょう?」

M「そうだね。この事実は余り知られていない。例えば今の国名“中華人民共和国”この名前で日本が考案した語彙は人民共和国。昔の中国には中華という概念は有ったが人民、共和、国と言う概念は無し。故に日本が明治時代、高名な学者、福沢諭吉、西周、中江兆民、森有礼などが西欧の辞書、学術書などを読んで新しい,相応しい言葉を発明して中国に紹介したんだ。非常に多数有る。外交、安全、環境、労働、衛生、法律、規則、哲学、戦争など非常に多い。さて、話が逸れたが食品の東京から来た後任の人は広州赴任なのに、郭沫若を知らない。」

 

私「え!、其の人の名、私も知りませんよ!誰ですか?」

M「君は長い間欧米の仕事していたから知らないだろうが、今後良く勉強して欲しい。この人は黄埔軍官学校の文化部長で元々作家でね、日本にも留学した。日本人女性を娶り、千葉に居を構えた。中国の危機的情勢を見て救国の念止み難しで帰国し八路軍に身を投じた。後年文革で失脚、不遇の内に生涯を終えた。黄埔軍官学校と言うのも君は当然知らないよな。この学校は戦前中国を侵略した日本をやっつける為国共合作の一環として広東の黄埔と言う場所に設立された。校長はあの蒋介石、政治主任は周恩来、文化部長は先ほどの郭沫若、他ベトナムを建国したホーチミンも胡志明と言う名前で幹部であった。20世紀のアジアのリーダーが若い時一同に会して抗日の為の学校を作った。

 

 さて、話を戻すと、この後任は中国人スタッフとの宴会で偶々広東の歴史の話になって、中国人があれこれ話すのを、詳しく質問して“その人誰?”とか“其れは何”とか極めて初歩的な質問をして、文化水準を疑わせる人と烙印を押されてしまった。と、なると帰国する人が去るので、残された中国人スタッフは後任の文化水準が劣る人の下で仕事するのは面白くない、と言う事で一度に全部、4名かな、一斉に辞めてしまった。現場の食品部隊は一時的に大混乱に陥ったが、この様に上に立つ人の人格、成りが問われているので君も兎に角前言った中国語を勉強するが良い。中国人は君が漢語を習ってるのを知ると喜ぶ。中国を理解しようとしている、と言う事を見るんだね」

 

私「よく,分かりました。他気づかれた面有りますか?」

M「現地赴任したら、当たり前なんだが、現地を好きになる事。中国というより広東、広州を好きになる事。山東省の合弁会社に勤務していた頃、日本側パートナーの電機メーカーから派遣された財務経理の若い人、と言っても35以上だった様に記憶するが、この人は中国嫌いでよく私の処に来ては中国のどこの公司が何をどうした、担当者の話がどうのこうの、と茶化す様な、バカにした様な言い方を中国人の前でする。本人は日本語を話しているので大丈夫と思っている様だが、中国人は悪口は敏感に反応する。小生は別室に呼び注意したが、其の時はしばらく止んだが、暫くするとぶちかえし。電機メーカー出身の総経理に小生は“彼は中国になじまないので帰国させては如何?”と進言。彼も問題視していたので、その内暫くして彼は帰国させられる羽目になった。こんな人は何処に行ってもアカン!でしょうね。だから君は広東、広州を徹底的に好きになって欲しいね」

 

Mさんは時間が遅くなったので「今日はこの辺りでーー」と言う事で取り敢えずはお開きとなった。話の内容があちこちに飛んだが、殆どが自分の知らない事ばかりであったが、新鮮でもあった。隣の国、日本に文化、文明、政治、風俗、生活など大きな影響を及ぼした国ではあるが、其の内側は殆ど知られていない。この理由はなんであろう?と考えるが、人々の往来が少ない事が大きいのでは、と思う。今から45年前の国交樹立の時は中国に対し甘いムードがあった。戦争で多大な迷惑を与えたと言う贖罪ムードも手伝い、中国を助けたい、と言う好意的なムードが有った。然し昨今は訪中する人が大幅に減少している。却って来日する中国人が激増している。其の中国人旅行者の態度にも厳しい眼が向けられている。然し日本人も40年前から海外旅行が増えて来ると欧米で無礼な態度をとって現地の良識ある人を不愉快にさせたものである。もっと寛容になるべきと思うがーー。

 

 さて次の話を聞くのは明後日の夜となった。どの様な話が聞けるのか楽しみである。自分も歴史、友好、広東の仕事などを尋ねてみようと思っている。

 

続く

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその8

私「中小企業の状況は分かりました。大手企業はどうでしょうか?」

M「色々有るね。私の出身母体の先ほど言った商社は先進的で、現地社員を大いに抜擢している。今や日本人社員の上司は中国人と言うのも珍しくない。私の存じているその中国人社員は上海法人の部長をしており、南京の人で日本語は勿論ぺらぺら。前の社長が南京訪問した時通訳したが、社長もその流暢さに驚いていた。この様な人はドンドン伸びて行く。中国人社員が上司になり、下に日本人が居ると言うこの姿は極めて当たり前なのだが、他社大手企業もその様であるので、珍しくない」

 

私「中国人の働く所謂モーチベーション、働きがい、とは何でしょう?」

M「人それぞれと言う人もいるが、私は一に銭。即ち収入だね。先ほど言った様に日系企業は収入が多くないのに、多忙、昇進、昇給が他外資企業と比べると差が有る、と言う問題有るね。その次は仕事の内容で、面白い、楽しい仕事なら簡単に辞めないだろう。だから派遣された日系企業幹部は仕事がいかにして面白くなるかを伝授する事が必要。一般的に仕事伝授は「Know How」を教えるが良いとされていたが、今は「Know Why」となっている。何故この仕事が必要か?何故こんな小さな工程が必要か?が分かれば社員は自分は会社に貢献してるんだ、と実感できる。次に大事なのは、上司の態度。特に問われるのは派遣された日系幹部の姿。中国人は一見ボヤーっとしている様で人物観察はちゃんとしている。自分の上司が自分にとって有益な存在か否かを判断してOKならその上司がいる限りその社員は会社に居るであろう。私の出身の商社の広州事務所で食品の日系幹部が帰国する事になった。彼は広州滞在確か5年であった。で、後任が来た。引継ぎの仕事をして、現地の中国人スタッフもその仕事に参加した。後任は東京から派遣されてきたが歳が若い。で、中国の文化歴史の知識が薄っぺら。ところで、君の広州に赴任するだろ?広州、広東の歴史的事実で知っている事を言ってください!」

 

私「え!?テストですか?広州、さあ、知りません、何でしょう?」

M「中国に赴任するなら、中国の文化歴史、風俗習慣、人民の生活などを赴任する前によく調べて学習しておくんだね。先ほど言った様に中国語を学習するなら、更に深く頭に入る。さて先ほどの答えは広州は北京から非常に遠い。反乱、暴動が生じやすいところで、近代では“太平天国の乱”が有る。キリスト教を共通の宗教として当時の清の圧政に立ち向かった。南京まで占領して、其の後路線の食い違いから分裂して制圧された。リーダーは洪秀全と言う人でこの人は漢族でない。この人は客家の出身です。」

 

私「客家という言葉初耳ですが何ですか?」

M「中国の民族の事も勉強せにゃあかんね。中国は別名漢と呼ばれている。今から2000年以上前にできた国家。創業者は劉邦と言い万里の長城を作る人足集めを生業としていたが、折角集めたのに、長雨で河が氾濫して時間どおり秦の首都たる咸陽に行けなくなった。時間どおり行けないなら当時は死刑。劉邦はどうせ死刑になるなら、思いっきり暴れて死のうと思い、人足と共に反乱を起こして、それがあれよあれよ、と拡大。ライバル項羽を落として漢帝国の皇帝となった。漢前の国家は短いかまたは伝説上の国家のムード有り、中国ではこの漢が最初の大帝国で300年続いたので、自分たちのアイデンティとして拠り所にしている。話が長くなったが、要は漢の人達が中国人、本来の中国人で他55の民族有るがこれは、後で中華文化を受け入れた為、中華民族になったので、中国は全部で56の民族有るが90%が漢族で他はチベット、蒙古、ウイグルなど多数有るね。中国語は漢語と別名言っている。私はこれが正しいと思う。中国語と言うのは56の民族が話す言葉でそれは56の言語有る。漢語は正に漢族の言葉。漢字はその民族が使用した文字なのです。話はずれますが今の中国では日本が考案した語彙が多数有るが知ってるか?」

 

続く

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその7

私「難しい問題ですね。日本では優秀即不正はしない、と言う暗黙の了解が有りますが、中国は先ずは不正をするとみて対処すべきでしょうか?」

M「道徳、倫理の観念が薄いね、中国の社会は。故に個人で防衛すること。仕事を任せるという事は自分が責任を持つ事で、要は常に仕事振りを見ている事。電話を注意して聞くとか、外出は何処にどれだけの頻度で行っているとか、本人にはちゃんと見ているぞ!と思わせる事だね」

 

私「そうなると、中国語を勉強せにゃあかんですね。」

M「あんた、中国語知らず中国へ行く心算なの?それは如何いう魂胆か、ちょっと理解できないね。あんた、今まで欧米担当であって、英語は勉強したよね?それじゃ、中国も同じ理屈じゃないのか?中国語を勉強する事は中国の事がより深く、広く理解できる。私の今までの話も勉強したら、益々身近に感ずる。」

 

私「けれど、来年4月ならあと6ケ月しかないですよ。無理でしょう。現地では通訳を雇いますから。日本語話す若い中国人は沢山いるそうです。日本は憧れの国と聞いており、わが社へも多数の応募が有るでしょう」

M「6ヶ月でも毎週学校に通えば、かなり習得できるはず。本人も努力せねばならないが、通訳任せでは、相手の微妙なニュアンスとか今言った社員がお互い何を話しているかなどが不明となり、最悪ツンボ桟敷になってしまうぞ。又通訳があんたに代わり会社を管理する様になる。日系会社は色々失敗して損害を大なり小なり出しているが、其の原因の一つが通訳が総経理に成り代わり会社をManageする様になる事。通訳を通さないと、総経理に話できない、というシステムは極めて不自然で危険だね。其の通訳が果たして真実を伝えているか確認しようが無いだろ?ある実験が有るが通訳を介する場合、頼んだ方は100の回答を総経理から欲しいのに実際来た回答は35%という実験結果が有る。現場の中国人は100を話し、通訳はこれを70理解、これを60、総経理に伝え、総経理は50理解して50をベースに話す。通訳はこれを40理解してそれを中国人に伝える。聞いた中国人は35%の回答しか貰えない。つまり、自分の欲しい回答は貰えないと言う事を示している。通訳が果たして本当に理解して翻訳しているか?がチェックするならいいが、そんな馬鹿なシステムは何処も採っていないだろう。毎日コツコツと勉強するんだな!

 

 初訪中の時、ホテルで日本の家族に手紙を書きたいと思い用紙を頼んだ。話せないので、筆談した。“手紙をください”とね。処が持って来たのは何とトイレットペーパーで之は正に手紙である。それじゃ、日本の手紙は如何言うのか?で手紙自体は信、日本では書信と言うでしょ?用紙は信紙と言う。間違え易いのは本で中国では書と言う。読書の書、何故本と日本で言うのか?書を数えるとき一冊、2冊は日本語で中国では一本書、二本書と言う。先ほどの写は筆記、なら日本の写すは何と言うか?之は抄と言う。この様に簡単な言葉でも意味は異なるので、恥をかく前に学習しておくんだね。」

 

私「分かりました。考えておきます。処で中国人の扱い難さで3番目の事は何でしょうか?」

M「そうだね。採用したら、直ぐ辞める事かな。日系会社は人事に色々問題を抱えている。それらは給与が安く、昇進も遅い、仕事を任せてくれないなど有る。欧米企業などは給与5,000元/月で募集、日系企業もこれに負けじと5,000元/月で募集。双方同じ条件であるが、欧米は社員の居座りが日系と比べ長い。処が欧米企業はこの5,000元以外にヤミ手当を払っている様で、この額が意外と大きい。20%になるという数字もある。応募する中国人も5,000元は表面的と思って入社するが、日系企業はこれが実質と分かると急速に裏切られた気持ちになり、“他エエトコないかいな?”と探す様だね。他昇進も遅い、仕事が面白くないとか在って評判は余り良くないな。」

 

私「其れ分かっていながら、改善しないのですか?私なら、即改善しますがね」

M「日系企業は30,000社中国に存在するが殆ど中小企業。彼らはオーナー企業で日本にいるオヤジさんの意向を受けて仕事している。オヤジさんは青春時代を刻苦勉励で過ごして来たので、中国人の種々要望を“何を甘い事言っているんだ!”で一蹴しがちだね。銭の為に現場社員は仕事している。この事を日本本社はもっと理解せにゃアカン!昔の刻苦勉励は時代遅れなのです。中小企業は今まで大企業の庇護下何も前向きに事業開拓せず、順調に大きくなって来たが、大企業が今やそんな余力は無い。よって中小企業自身が脱皮せねばならない。人材不足が最大のテーマなのだね。

 

 前勤務した独立行政法人では海外ビジネスコンサルをしていてね、其処には毎日中小企業の幹部が来訪して色々相談にやって来たね。其の多くは、事業、商売失敗の事例で、酷い、バカな話も有る。上海で展覧会が有るので通訳無し、中国も初めてというオッサンが“向こうに騙された。この損失補てん、国で面倒見てくれまへんか?”と興奮気味、怒り心頭で私の処に来た。話を聞いて呆れるやら、バカな人!と思ったりしたが、本人は多くの損失を作り何とかして欲しいと訴えている。小生は先ず常識的に考えて、初訪中で通訳無しに商売する事が如何に間違っている事は承知してますか?とやんわり聞いた。本人は“相手は漢字の国で喋れなくても字を書けば理解して呉れるものと思っていた。”と言う。小生は呆れて、“この件、損失は国は面倒見れませんよ。アナタ自身の配慮無さが引き起こした故、アナタ自身が負担せねばならないですよ”。とやんわりと然し冷たく言い放った。本人は興奮しており、其れでも引き下がらないので、何か抗弁できるもの、具体的に探してから又来てくださいと言い、急ぐならこの様な相談機関あるので行ったら如何ですか?恐らくダメと思いますが、として其処を紹介した。話がずれましたね」

 

続く

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその6

私「よく分かりました。次の問題はなんでしょう?」

M「報連相とか報告の仕方かな?これもね中華民族のDNAに関係していると思うよ。中国の伝統社会では自ら動くと災いは自身に及ぶと言うジンクスが有るので動かない方が良いとされている。上司の言うとおりに行う方が一番安全な処し方。で、報告、連絡、相談も自分からして来ない。聞かれたら答える、言われたら行うと言うのが彼らの身体に浸み込んでいる。もっとも最近は欧米流の仕事方法を身に付けている若きエリートは積極的に自分のアイデアを言う様になって来ており、このDNAは徐々に少なくなって来ている。それから報告の仕方の件、結論を先に言わず最後に言う傾向に在り、聞く方は“一体何を言いたいのだ!Yes Or Noどちらなんだ!”と爆発しやすい。途中話している言葉聞いていると、グチャグチャ言ってお前一体何を言いたいのだ?と怒鳴る気持ちになる。迅速に動く社会ではこの様な報告の仕方は改善すべきだろうね。まあ、今言った様に競争激烈の社会ではエリート社員は積極的に仕事に取り組んでおりこの報告の仕方も欧米流に先に結論出す方向にあり、安心はして良いでしょうね。つまり、人次第で採用するなら、自ら動く社員を採用すべきであるでしょう。」

 

私「人は石垣、人は城、と言われます。これは、古今東西の原則と思います。私は人材採用に就いては多額の費用出しても優秀な人材を雇用するつもりですがーー」

M「そうだね。アナタの今言った優秀な社員と言うのが中国ではクセモノでね。何を以て優秀とするか?アナタのアイデアは?考えはどうなんですか?」

 

私「何事にも積極的。コスト意識有り、会社に貢献するなら、自分は法違反しないなら何でも行う、と言う人でしょうか?」

M「立派な答えですね。アナタはその様な考えで以て採用試験に臨む。しかし肝心なところを見逃してはいませんか?」

 

私「何だろう?」

M「論語を読んだ事ありますか?論語の世界では徳が本、財、才は末、

つまり、君主は自分の後継を見るに本末になっているか、つまり徳が有るか否かを先ず見る。それが才が有るか?を先に見るなら、これを本末転倒と言っていますな。アナタの採用基準は立派ですが、まずは当人が人望有るか?人徳有るかを見る事ですよ。話は少々変わりますが今の世の中、企業とか政治家とか社会のリーダーと呼ぶべき人が大きな間違いをして、マスコミの前で頭を下げて“スンマセン”と謝っているでしょ。彼等は才で選ばれて徳を持たないからあの様な無様な格好している。東芝の問題も然りで、過去粉飾決算した三人の社長は顔つき見ても、嫌らしい、品の無い顔している。社員が可哀想だね。話を戻します。優秀な人ほど注意せよ!とは中国ではよく言われる言葉です。彼らはごまかすのが上手ですね。

 

 私が北京事務所にいた頃に優秀と言われていた中国人社員がいた。話の仕方、身のこなし方など中々良いセンス持っているな、と感心していたら、何と大きな背任事件を起こしてしまった。どういう事かと言うと、自分の妻が経営する会社に自分が勤務する商社から不当に安く商品を仕入れ、販売していて、その会社は大きな利益を上げていた、と言う事件が起こったんだ。妻は旦那とは別姓で中国人社員も妻とは分からず、又彼が妻と話す言葉つきは完全に顧客に話している言葉で、誰も見抜けなかった。で多分L/Cオープンか書類上のやりとりで住所が彼の住所と一致して、会社の幹部が彼を追及したら、自分の妻の企業と取引をしていた事が判明、その為に会社に損害を与えた言う事であるが、その後のその社員の行動がこれ又中国人にしては珍しいあっぱれな?事。つまり彼は損害を与えた分の2倍の利益を会社に与えて、それから、妻と共にブラジルへ行ってしまったそうである。私の所属する北京のある部門でも同様不正が発覚した。私が採用した社員で細かく動き、顧客には好かれていてハキハキ応対する社員。好感度も良い、が私が帰国した後に不正を行って会社解雇された。残念である。」

 

続く

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその5

私「面子の事で、私が具体的に注意する事は何でしょうか?」

M「いい質問だね。日本ではいと簡単に人前で注意する、大きな声で叱正する、“お前アホか!”とかね。又簡単に腰とかお尻を叩いて“しっかりせいよ!”とするが、これは中国では厳禁。こんな事したら、社員全員から猛反発喰らい最悪サボタージュで仕事はできない。わが社の遼寧省にある繊維工場に中堅の中国語ペラペラの社員が本社から派遣され赴任した。ある日朝礼終了後、現地社員に冗談まじりに先ほどの“しっかりせいよ!”と極く軽くお尻を叩いたそうだ。そしたらその社員が怒り、反発した。これを目撃した他の社員も反発、事態は急激に悪化して、社員はサボタージュ。

 その中堅社員は本社中国室の出身で即本社側に指示を仰いだ。本社は“とにかく誠心誠意謝れ”の返答。で、誠心誠意謝った。しかし社員全体は許せない。何しろ中華民族が大和民族に侮辱された、と思ってるから。

 中国のゴールデンタイムでは殆ど毎晩ドラマで日本軍の中国人に対する蛮行が放映されてる。髭を生やした鈴木とか渡辺と言う陸軍の兵隊幹部が中国人を中国語で怒鳴り、殴る、蹴るなどの暴力を振るい、最後は日本語で“バカヤロ”と言って立ち去るシーンで、これを大衆は見ており、日本人から小さな侮辱でもこれを受けたら本当に大変。」

 

私「結局、この騒動はどうなったのですか?」

M「その本社から派遣された社員は、数日後の朝礼で皆の前に跪いて誠心誠意謝罪したそうだ。で、その社員はその後中国人社員と折り合いが悪くなり、早期に帰国を余儀なくされた。傷心の帰国となって、社内でも居心地が悪くなり、その内退職した。簡単な動作、冗談と思ってやった動作がその後の人生を狂わせる重大な事案となってしまった。故にアナタも注意せなあかんですよ。バカヤロと言う言葉は中国人は知っているからね、絶対口外しない事だね。」

 

私「日本人から見た中国人の扱いにくさ、とはどういうものでしょうか?」

M「さあー、何だろう?幾つか有るね。

 一つは簡単には謝らない事。これは中華民族のDNAだね。謝るとその後徹底的に突いて来る。つまり“お前が悪いんだ。お前の所為でこんなになった。どうしてくれるのか?”だね。北京駐在の頃、日本のその石化会社の代表と偶々地方出張で同じ飛行機でばったりと遭った。席が近くなもので、近くの中国人にお願いして隣同士になり、雑談をしたが、その中でその人は以前内モンゴルに出張した時、突然飛行機が揺れて、傍でサービスしていたお茶がその人の肩、膝などにかかり、まあびしょ濡れになったそうだ。で、その人はサービスしていたキャビンアテンダントが黙っていたものだから“謝りなさい”と言ったが、彼女から出た言葉が何と“私が悪いのではありません。飛行機が悪いのです。”と堂々と言った。その人はそれを聞いて空いた口が塞がらなかったそうな。普通なら口論になる事態であったが、その様にDNAが植え付けられているので仕方ない、と後味の悪さだけ残して一日面白くなかった、と言う話をしていた。

 

 以前毒入り餃子事件ってあったでしょ?山東省のメーカーが製造した餃子に農薬が混入していてそれを食べた確か千葉県の人、3人が重体になるという事件が発生したが、中国側は”これは日本側が袋に穴を開けて農薬を混入させたんだ!“と怒った様に言っていたが、数か月して、皆が忘れかけていた頃、中国で犯人が見つかり、結局中国側の問題となったが、この場合でも、謝罪は無し。国家の体面を傷つけられた日本は強烈に文句言うべきであったが、大人の態度を見せて、納めたね。もし中国側の誰かが謝罪していたら、その人、および家族は永久にガタガタ言われるだろうな。自分も広東の会社では社員が重要な書類を紛失したので、謝れ、と言ったがその人は謝らなかった。私はその人の上司に謝ると言う意味、意義を説明してその人から当人を説得して貰う様にWORKして、後日、本人から別途“済みません”の話が来た。この謝罪するべき場面は至る処に有るが、前言った、謝って“お前が非を認めた、賠償はどうのこうの”と話がなって行くと簡単には言えないだろうね。だから、要は謝る意味、意義を教えられていなかったのでは、特に解放後共産主義教育では人間性否定、宗教否定の社会となり、ギスギスしたムードになった。儒の国、論語の教えは遠い彼方に行ってしまったね。

 

 ところが、私が僅か一年勤務したとある会社では、このDNAを打ち破る教育をして顧客を旨く勝ち取っている。どういう事かと言うと“顧客とトラブルになった場合は先ずは社員が謝れ”と教育している。謝ったら、顧客の不平は50%減少、更に幹部が出向いて謝るなら更に25%減少、翌日幹部が菓子折り持参して顧客の家訪問、謝罪したら更に25%減少する“と教育している。で、問題は前言った”謝ったから罪を認めた云々“が気になるところだが、謝るのはたとえ顧客に非はあっても、顧客は不愉快になった、その不愉快に対して謝るという論法で、これを盾に顧客がナンクセを付けると顧問弁護士が出てきて、別室で話するという形を取る。トラブルといっても顧客のミスでのトラブルも多い。要は感情の問題で、あからさまに”アンタがボヤボヤしとったから、こんなになったんや!“と大声でなじったら、面子を失った顧客は頭に来るだろうね。そのところを顧客のプライドを保ちつつ善処しているわけ。」

 

私「面子の問題も絡み、複雑、難しい問題ですね。要は大勢の前では謝らない、個人対個人では謝ると理解して良いですか?」

M「それが必ずしもそうだとは言えないが、一理は有る。人格にも関係するが、後で言いますが性悪説の社会では先ずは自分で自分の身を守る事を身に付けて欲しい。その一つがまずは簡単に謝らない事だね」

 

続く

 

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその4

私「その金銭のやり取りは北京、上海、広東とでは違うのですか?」

M「北京は政治のお膝元故、取り締まりもそれなりに厳しいでしょう。上海は欧米の風潮あり、金銭の扱いには厳しい面が有ります。中国では俗に“北京愛国、上海出国、広東売国”と言われているね。北京は政治の中心で愛国談義をする、上海は欧米の風潮が強く、憧れからとにかく中国は嫌だ、出たい!と願望する人が多い。広東は国家なんてどうでも良い、銭、銭で行こう!と言う輩が多い。南に下る程程度が低くなるという事で北京人は又上海人は広東人をバカにしてますな」

 

私「それは、驚きですね。中国人の数は多いでしょうが、大体同じ様な人達と思っていましたが」

M「それは全く違うね。例えば、私は山東省で合弁会社の幹部をしていたけれど、会社の運転手が以前広東に行ったそうな。広州の町を歩いていて、迷子になってしまい、歩いている人に道を尋ねたらさも知っている様に答える、しかし嘘っぱちで、二番目の人に尋ねても同様ウソを言う、結局3番目の人が漸く正解をくれた。運転手は広東人は絶対信用してはいけない、と語っていた。まあこれは広東人に限らず中国人は知らないという事は簡単に言えない様だね。面子が有るから知らないとなると、あの人は“アカン”と烙印を押されるのを恐れているのでね。合弁会社設立の契約交渉している時でも中国の法規定をさも知ったそうに胸張って自信たっぷりに言う幹部が居て後で我々が元を取ったら違っていて、翌日の会議で“あんたの昨日言った事は違っているよ。事実はこうですよ”と言いそうになったが、止めた。」

 

私「何故ですか?はっきり言うべきでしょ!」

M「ここにも面子の問題が絡むからね。その人に大勢の前で恥をかかせる事になるから。そうなったら、今後その人から協力して貰えない惧れが有るので、じっと耐えた事が有るね。話がずれるが中国では面子を非常に重んずるので注意するが良い。プライドの問題ではあるが、激烈な競争社会で生き抜くには人よりも抜きん出る必要有り。で或る本に書いてある事であったが、中国での面子と言うのは深く、重い意味あり。どういう事か、と言うと自分の権限内でなく権限外の事まで携わって成果を上げたら、これが最高の面子が立つ、と言うのだそうだ。権限内で成し遂げるは当たり前の事、これが権限外なら、“たいした者だ”と称賛に変わり、その人と面子は保たれると言う事でしょうね。」

 

私「ちょっと複雑ですね」

M「そうだね。だから、役所でも自分の部署以外の案件でお願いがあるとなると、頼まれた方は自分の権限外の事を内部であの手この手を駆使して、要請に応える。成功したら、それ成りの報酬が期待できると言う事でこれも汚職の原因、つまり中国人の面子も汚職の原因の一つでしょうね。」

 

続く

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその3

私「Mさんは中国での滞在が長い。そしてお仕事を商社駐在以外合弁会社でもされました。このお仕事の過程で実際賄賂を贈りましたか?」

M「鋭い質問ですな。どう答えたらよいか?時効故言いましょう。商社駐在の時は直接金品を送る事は無かったですね。現地法人では、金品の贈りは有りました。先ずは、春節と仲秋節の時は役所に赤い小さな封筒に銭を入れて送ります。初めての時は山東省での電機メーカーと我が商社、中国側との合弁会社を設立して、中国側会社の幹部が役人に銭を送るので了承願いたい、と言って来て、これには私及び日本側は猛反発しましたね。賄賂ではないか!と。中方(中国側のこと)は“長い間の慣習で、しかしこれをしなかった場合、今後ビジネスで不利な立場になる”と脅しをかけて来ましてね。」

 

私「それで、結局どうなったのですか?」

M「仕様がないと言う事で、払いましたよ。本社側と相談しましたが、当然本社は反対します。しかし最終的には現場に任す、となりまして、“腹が立ちましたが、銭を送りました。賄賂と言う概念ではなく、一種の交際費と考えて処理しましたね。更に、役人接待も頻繁に有りましたが、これも接待と考えて処理しましたね。」

 

私「賄賂と接待費の違いを明確にしておく必要有りますね」

M「賄賂というのは、何か魂胆があってそれを実現させる為に使用するもの。単なるお付き合いは接待費としていました。これは本部の了解を得て実行したもので、後年広東勤務になって、酷いところだね、広東は。とにかく、銭、銭の世界。税関の下っ端職員が私の勤務する現地会社に午後ふらーっと来て“今日田舎から親、親族が来ている。御馳走してやりたい。費用負担してくれるか?”と図々しく言って来た。この様な話が多いので、本社にお伺い立てたら“現地で枠を設けて接待費で処理するなら構わない”との回答で、しかし彼らの要請を断ったら、さあ、大変な事になる。下っ端役人は窓口で権限を有するので、ツムジを曲げたら、相手にしてくれない。賄賂は今言ったとおり、何か魂胆が有って便宜を図ってくれる事を期待して贈るものと心得ていたので、故に賄賂を贈らねばならない状況は絶対避けねばならない、と肝に銘じておりましたがね」

 

私「肝に銘じておりましたが、それらしき物を送ったという事でしょうか?」

M「うーん、まあ、その様な事が有ったのですよ。」

 

私「済みません、どの様な事でしょうか?差支えなければ、お話頂けませんか?具体的にーー。」

M「ウーン、さあ、――それは後で話しますよ。15年以上前の事だからなあーー、記憶も定かでないなあーー。とにかく今言ったとおり、すべて銭、銭の世界ですな。広東での話、中秋節の前に工場長と我が地区の供電公司を訪問しまして、この会社は電気を流す会社で非常に重要。わが社は電気使用量は少ないし、反応釜には半製品が有り、停電するとすべて無価値になるので停電は絶対しないで欲しいと要望に行ったら、地区の共産党の書記にばったりと逢った。その書記は“M先生、そろそろ中秋節だね?”と言ったが、私“何を当たり前の事言っているのか?”と疑問に思っていたら後で工場長が“あれは、紅包を要求しているんだ”」と解説してくれた。その様な銭は小さな紅包に入れて渡す風習なので、この様に言われているのですが、書記の態度が図々しく腹が立って来ましたがそんな偉いさんと喧嘩しても全く意味なく、“仕方ないなあ”と諦めの気分で承諾した事覚えていますよ。

 

役人をしていて財産を築けない人はバカ!と言う風潮が昔からあり、新入りの役人で始めは清廉潔白な人もその内銭の誘惑に負けて図々しくなって来る、ひどい社会ですな。習近平氏が先頭に立って汚職追放運動しているが、本人も結構な財産を築いており、説得力を欠く汚職追放運動ですな。税関の入り口には“金品を貢ぐな!違反したら企業名を公表して出入りを禁ずるという”内容のお触れが出ていたが、これまともに理解している人はいなかったですな。前の総理であった温家宝も一見清廉潔白に見えて実は22億ドルの蓄財をしていた、とニューヨーク・タイムズは報道したが、さもありなん、と思ったよ。当たり前の事で何ら驚くに当たらない。日本では役人が賄賂で摘発されるのは年間精々50名-60名、中国は汚職で2016年は41.5万人が摘発された。メタメタ酷い。」

 

続く

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその2

私「え!それどういう事です?」

M「つまり、赤痢患者の密告さ。お互い便を見合って便の柔らかい人は赤痢の疑いあり、という事で帰国はすぐできない、と言う事になってしまう。人間極限状態になったら、性欲なんて吹っ飛んでしまう、と森繁さんは言っているね」

私「Mさんの家族も同じ様に酷い目に遭われたんですか?」

M「詳しく聞いていないが、先ほど言った断髪、黒いお化粧、出刃包丁は持たされた、と言っているので、結構ストレスが大きかったと思うよ。引き揚げる途中、中国人から“子供を日本に連れて帰るのは大変だから、私に預けなさい。落ち着いたら迎えに来たら?”とあちこちから言われたそうだが、それは断ったと。もし子供を預けていたら、例の残留孤児となって相当後に子供は帰国するが、その多くは日本では心身共に苦しい生活を余儀なくされている。瀋陽は首都であり、此処から港の葫蘆島に鉄道で行くのでそれほど難儀ではなかった様で、しんどかったのはハルピン、新京からの引揚者。瀋陽に到着するまで、財産を叩き、子供も中国人に預けざるを得ない状況であった。クタクタのしんどさであったでしょうね。私の会社の同期の人ですが、戦前新京で木材加工会社を経営。大きな会社だったらしく、羽振りも良かったでしょう。それが、終戦を境に一転、財産は全て処理、機械、設備は全てソ連または国民党に没収された。で、一家は何と朝鮮半島を辿る事にした。今の北朝鮮で私の同期の人は生まれた。もちろん当時の頃は記憶にないが親は彼の小さい頃引き揚げの苦労話をしていたそうだ。朝鮮人の日本人への反感は物凄く、あちこちで嫌がらせとかに遭ったそうな。こちらも大変だったね。

 

 今から7-8年前会社同期の人達総勢6名かな、中国東北地方を巡る旅に出かけ、長春では私の同期の人のオヤジが経営する木材加工所の跡地を探しに行った。見つからない!私は単独に少し歩いて年老いた中国人に“1945年以前、この辺りで日本人が木材加工所を経営していたと聞いているが、それは知っているか?”と尋ねたところ、その人は“確か昔親から聞いた事ある。確かあの辺りだろう”とマンションの建設されている場所を示した。同期の人はそれで納得した。この他、彼は今も生存する叔母さんから女学校の場所も地図で教えて貰い、そのとおりに行ったらこれはそのまま残っていたので、彼は大喜びであった。まあこんな話だなあ。

 

 この時の旅は大連、ハルピン、長春、瀋陽と回った。各地で中国人のガイドが付いた。ガイド達は勿論日本語はペラペラ。一様に中国政府、共産党を悪く言っていた。特に痛烈なのは長春のガイドで、“日本が中国を侵略したのは、理解できますよ!”日本は本当に良い国ですよ“と以前訪日した時の好印象語っていた。この長春市内見物をマイクロバスでしていたところ、隣の車と接触した。軽い衝撃あり、マイクロバスは少し傷を負った。運転手が下車して相手の車の運転手に文句を言った。車上から二人のやり取りを見て、ガラス通してからは何を言っているのか不明で、しかし嫌に長いなあ、と思った。ガイドが下りてガイドもグチャグチャ話している。漸く終わって二人は戻って来て、我々は”遅かったなあ。何があったんだ?“と尋ねたところ、ガイドは”ウチの運転手が文句を言ったところ、相手側は“オレのオヤジはどこそこの共産党委員会の主任だぞ”と脅しをかけ、暗に“アキラメロ!”と言う素振りで、これに頭に来た我が運ちゃんは、相手に“一発殴らせてくれるならアキラメテやる”と言い、そのやりとりをして長くなったそうで、結局ガイドが取り持ち、不満はあるがお開きとなった、と言うハプニングが有った。確か当時かな、全国的に流行り言葉が有ってそれは“我爸李剛”という言葉。意味は私のオヤジは李剛というもの。ドラ息子が交通事故起こし相手に傷を負わせた。相手は補償せよ!と迫ったら“わしのオヤジは李剛だ”と言って相手を黙らせると言う親の権威をものに相手を黙らせる事をして、全国的に非難ごうごうが沸き起こったのであった。同じ様な事が我々にも起こった訳。

 

 そうだ!私の生まれた瀋陽でも小さなハプニングがあった。前、言った通り祖父が兵器工場を経営していて、その会社は一時ソ連が接収してその後国民党、共産党へ移った。その後の名前は黎明精密機械公司と言う名前に変化して今は黎明なんとかになっており中国兵器工業部参加の有力企業になっている。祖父の経営していた会社なので親近感が湧いて来てガイドに“門から見た会社の写真を撮っても良いか?”を尋ねたところ、“いいですよ”と簡単に返事をしたので私は写真を撮っていた。しかし急に守衛が来て早口で怒った様な口調で何か言いだした。ガイドは“写真撮るな!カメラを渡せ!と言ってますよ”と言っている。私は“アンタが撮影問題ないと言うから撮ったのだ!”と反論、“悪気はない。祖父が経営していた会社故、これも何かの縁と思い、撮影した、はるばる日本から来たのだ”と説明してやってよ、とガイドに言って何とか事なきを得た。当時は尖閣の問題で4名の日本人社員がスパイで拘束されたので、こちらも一瞬ヒヤットしたがね。この会社は中国有数の精密加工会社になったが、やはり戦前日本人から薫陶を得た中国人は物つくり精神を発揮して、心を込めて品物を製作したんだろうね。

 

 さて、話が横道にずれましたが、ソ連またはロシア/中国との関係、の話をしましょう。ソ連/中国が戦後友好同盟とか言っており、最近でもその様な事やっているが、ソ連もしくはロシアと中国は絶対に仲良くならないだろうな。中国は何度もロシアに煮え湯を飲まされたり、国境紛争、義和団事件でのロシア兵の残虐さ、戦後のソ連から援助貰っていた頃のソ連人の態度のひどさなど、代々語り尽くされているので、不信感は絶対にぬぐえない。参考まで言うと義和団事件での日本軍の対応は教科書に載る様な見本的な態度。指導者は“柴五郎”大佐でこの人は会津戦争で官軍に敗れた人。しかし武士としての誉は高い。故に日本軍は統率が取れていて、現地住民に尽くしたそうだ。また、森繁さんは言っているのだが、満州人と朝鮮人は犬猿の仲との由。日本敗戦後、現地のタガが外れ両民族の対立が表面化、あちこちで衝突は起きた由。これは現在でも中韓の関係の悪さに影響しているのだろう。ちょっと、長くなったね。」

 

私「いや、日本敗戦で引き揚げの苦労話なんてめったに聞けませんので有難いですよ。もっと多くの日本人が知るべきですね。教科書に載せればいいのに、と思っています。ところで中国の今の指導部は習近平をトップに腐敗運動追及をしていますね。これに就いてMさんはどうお考えでしょうか?」

M「あれは、完全に茶番劇ですな。又権力闘争のために大衆受けする腐敗追及をしているのです。中国では有史以来賄賂がはびこり、之は絶対に無くならないものなのです。賄賂は至る処で見られます。」

 

続く

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろうその1

 本日からしばらく元商社勤務の方が回顧録として書きとめていた文章をアップしてきます。この方の経歴ですが、1970年代終わりに商社に入社し、1990年代半ばより山東省、1990年代終わりから四川省、2000年からは広東省で勤務され、2000年代半ばに商社を定年退職。その後約5年間独立行政法人に勤務され、その後は大学教授としてもご活躍されました。現在すでに70歳を超えていますので、今となっては昔話となってしまっているようなお話もあります。昔と今とどう違うのか、昔と今も変わらない、いろいろと感じられるところがあろうかと思います。いろんな思いで読んでいただければと思います。一回目は少し長めの文章になります。

 

 

はじめに:

 私の名前は山田一郎。42歳である。現在、大阪に在る中堅の化学品専門商社の副部長をしている。入社後10年間は国内商売を担当、鉄鋼メーカー、石化会社の担当者たちと付き合い、麻雀、飲食、ゴルフなど其れ成りのサラリーマン生活を過ごして来た。しかし、10年後、社内の大幅な組織変更が実施され、私はいきなり貿易を担当する事となった。地域は欧米である。10年も国内商売を担当して、いきなり貿易とは、「それはないだろう!」と上司に文句を言ってやりたかったが、冷静に考えると欧米相手では自分の好きな英語が使用でき、入社以前から欧米の生活など社会に憧れていたのも事実。従って、文句は封印した。そして、貿易では順風満帆の日々はあるにはあったが、逆風の風が強かったが慣れるとそれなりの対処方法も身に付けて来た。

 

 ところが最近上司より「来年4月より君中国広州の合弁会社に行ってくれるか?会社の総経理、すなわち社長として」と言われて、頭が真っ白になった。中国とは?10年前と同様上司に文句を言いたかったが、今や昇竜の勢い有る中国、欧米の市場はそれなりに成熟しており、販売も勢いがない。中国は成長率は落ちたとはいえ、6-7%で推移している。規模が巨大で6.5%の成長率なら今後とてつもない国家になるのでは?と期待と不安がまぜまぜになったが、期待を込めてこの辞令を承諾した。それで、中国は全くの未知の国。新聞、テレビ、雑誌など溢れんばかりに日々中国のニュースは聞こえて来るが、実際の中国はいかがか?は不明である。これは多くの日本人もその様ではないか?それではどのようにして中国の実際の姿を知るのか?と考え、悩んでいた時、会社の相談役から突然呼び出しを受け恐る恐る、相談役の部屋を訪問した。

 

相談役「君、来年春から中国らしいな。中国の事、どれだけ知っている?」

私「正直からっきし分かりません。色々文献を漁っていますが、皆、言論統制にあっている様に同じ様な事を言っており、内容には疑問を持っています。真実いかがなっているか分からず不安です」と申し上げた。

相談役「先日、学生時代の友人T君と久しぶりに飲んで君の話したんだ。T君は総合商社、商社の化学品部門に長年勤務、現役時代業界では大いに名が売れた人なんだが、この人の部下が中国勤務が長く、ビジネス、生活、社会など中国の断面を良く知っているらしい。T君の部下は君同様欧米に勤務希望であったがそれは叶えられず、いきなり中国となった。何だか君と境遇が似ている様なので、君の話をしたんだ。君、その人に興味有るなら早速コンタクト取って訪問したらどうだ?」

とアドバイスを受けた。私は相談役の配慮に謝意を表し、アドバイスとおり、その人を訪問、面会する事にした。その人は大阪市内のマンションに住む。私の会社よりそんなに遠くはない。あらかじめ電話でお話したら、本町の居酒屋で飲みながら話をしましょう、となった。その方の名をMさんとしよう。Mさんの話は単に中国に留まらず、韓国、香港、台湾など東南アジアなどの国情にも話が及び欧米一本やりの私には彼の話す内容は全て新鮮に映った。Mさんから聞いた内容を忘れない様に予め断ってICレコーダーに録音した。この書はMさんと私の会話全てが入っている。これから中国とか海外に飛び出そうとする人には参考となると思い、会話形式で書にまとめたのである。前置きが長くなった。

 

  • 中国と付き合う。

私「そもそもMさんと中国との馴れ初めとは何でしょうか?」

 

M「私は実は中国生まれなのです。1945年11月に中国東北地方の瀋陽、昔は奉天と呼ばれたところで生まれました。なぜ瀋陽か?ですが、母方の祖父が陸軍退役して陸軍より依頼されて瀋陽で兵器製造工場を経営していたのでして社員は中国人が3,000名、日本人が数十名いたと、祖父から以前聞いた覚え有ります。祖父は週3回は朝礼を行い、社員を相手に中国語で色々指示を出したり、注意をしたりしていたそうです。この兵器工場の売り先は当然日本陸軍で、陸軍は戦争に使用。工場で働く中国人は、生活の為とは言え、嫌な思いしたでしょうね。日本が敗戦を迎え、当時の国民党が瀋陽に進駐、祖父など会社の日本人幹部は逮捕されました。そして、裁判で祖父及び少数の日本人幹部は死刑の判決を受けたのです。」

 

私「死刑!ですか?」

M「そう。死刑ですな。祖父は監獄に他の日本人幹部と共に入りました。毎朝、監獄の見張り人が来ては“今天、没有死”と言っては立ち去ったそうです。つまり、“今日は執行ないよ”と言う事を伝え、祖父はそれを聞いては“今日一日命が有る”と安堵しつつ、明日はいかがなるか不安で仕方ない悶々とした日々を過ごしたと語っていますね」

 

私「その後おじい様、他の日本人はどうなったのですか?」

M「かなり時間が経って、どの位の時間かは忘れたと言っていますが数か月くらいでしょうね、或る日、監視人が来て急に「釈放だ!出ろ!」と言われ他の日本人も同様釈放されたそうです。狐につままれた感がして祖父は監視に尋ねたそうです。監視は“知らない”の一言、で祖父は刑務所の幹部にそれとなく尋ねたら、中国人労働者から大量の助命嘆願書が提出されたとの事です」

 

私「それ、どういう事ですか?」

M「祖父は何故かは其の時思い至らなかったそうですが、嘆願書を見せて貰ったら、“社長及び日本人幹部は中国人労働者を親切に扱った。殴る、蹴る、侮蔑的言葉を吐くのが当然の日本人ではあるが、祖父などはこれをしなかった。日本人幹部にも厳禁していたうんぬん“が記載されていたそうです。」

 

私「当時の日本人はひどかったでしょうね」

M「当時は中国人、朝鮮人に対する差別は当たり前の世の中。僕らの子供の時でも中国人は△△と言われて、韓国人は□□!とバカにされていたのでね。しかし終戦を境に立場が逆転して中国、朝鮮では多くの日本人が酷い目にあったそうですな。」

 

私「おじい様、Mさんの家族はどうなりましたか?」

M「住んでいた瀋陽は多くの日本人が住み治安は比較的安定していた様ですが、ハルピン、新京、今は長春となっていますが、この都市および周辺の農村にも多くの日本人が住んでいて、これは引き揚げが大変の様でした。母も語っていますが引き揚げの時、女性は断髪、顔、手、足などは黒く塗りつぶし、ソ連、匪賊の襲撃に備え各家庭に出刃包丁が渡されたそうです。ゴロツキが来たら、包丁を使って立ち向かえ!と言う事でしょう。」

 

私「怖かったでしょうね。物凄いストレス!」

M「文化勲章を貰った俳優の森繁久弥も自叙伝で記しているけど、質の悪いソ連兵、当時は◯◯と皆呼んでいたそうですが、◯◯に備え火炎瓶を皆で作ったりしたそうです。また主人が一家を日本刀で殺し自分も自殺する一家心中、悲惨な事件があちこちで起きていたそうです。森繁さんは新京でNHKのアナウンサーをしていたそうです。放送局に9人のソ連兵が入ってきて、自動小銃を森繁さんの背中に向けてロシア語をグチャグチャ話したそうです。振り向いたらヤラレルな、一瞬の事だから振り向こうか、痛くないはずだ、しかし自分がこんな目に遭っている事を誰かに見て欲しいとも思ったそうです。とにかく彼は“アナタに歯向かう意志は絶対ありません”と言葉は通じないものの、ジェスチャー、ムードで必死に示したそうです。結局彼はシベリアにもやられず、無事帰国できた訳なのだが、その帰国の道中は悲惨、地獄の一言に尽きる。」

 

私「具体的にどういう事ですか?」

M「極東にやられたソ連兵は西部から派遣された。要はドイツと戦い、勝利を収めて来ました。ゆえに欲求不満の狼が大量に野に放たれたと言う事。一番被害に遭ったのは婦女子で、彼女らを守ろうとして勇敢に立ち向かった日本人男子は無残にも殺戮されてしまいました。ソ連兵の程度の低さを森繁さんは“貴重品を身に付けていると、強引に取る、ライターを知らなくていじっていたら、急に火が出てびっくりする、残った飯に灯油をかけ、塩をまぶしてうまそうに食っているとか。ソ連兵が家に押し入った場合の撃退方法は電話の音を鳴らす事。よって隣の家と紐で結び合い、ソ連兵が来たら紐を引っ張り隣に合図、隣は直ぐ電話をかける、急に大きな音がして兵隊はびっくりして退散する、と言うわけです。また、日本人は新京から貨物列車に乗り錦州経由で葫蘆島に向かうのだが、無蓋車に乗せられた家族は”列車が揺れると危なくて振り落とされるな?嫌だな“と囲いのある貨物車を羨ましいと思ったところ、引き揚げ時期が夏から秋に向かう頃、珍しく長雨が降ったそうです。そしたら、無蓋車は雨が溜まらず、囲いの有る貨物車は雨が溜まる、しかも隅に設置した簡易トイレが溜まった雨水と一緒になり、臭い、汚いのひどい状況。列車は時々停車する。その時間は不明で急に出る事も有る。皆一斉に外に出て大小便をする、ところがうら若き乙女は恥ずかしいので貨物列車の下に入り、しゃがんでいたら急に列車が動き、哀れ、悲惨な結末となったようです。錦州は日本人町。ここに大量に東北地方から来た日本人避難民が来たものだから、町の成りはたちまちパンク。一般家庭に入れない人達は簡易収容所を作る。そしてアメリカ軍から支給されたDDTをかぶり、まずは簡単なトイレを作る。そしてトイレには男女区別なくしゃがんでお互いの便をチェックするのだそうです」

 

続く

わずか5年で840億円もの資金を溶かしてしまった中古車取引サイト

 昨日の記事でちらっと中古車販売について触れましたが、今日は「人人車」という中古車取引サイトについて紹介します。いっときネット動画を見ようとするとやたらとこの会社の広告が出ていたので、中国の動画サイトを見る人であれば名前くらいは知っているのではないかと思います。このキャプチャを見れば思い出せるのではないでしょうか。

 

キャプチャ

 

 結構派手に宣伝していたこの会社、最近はあまり広告を見かけず、同じような同業の会社の広告を見かけるようになっていましたが、なんと破産するのではという報道が出ています。ついこないだまでガンガン広告してたくせにいきなり破産かよ!一体どういうことなのでしょうか。

 

 この破産報道に対して、人人車は、「事実ではなく、現在全ての業務は正常の行われており、悪意のデマを流す行為に対してすでに証拠集めを行い届出している」というコメントを出しています。なんだ、大丈夫かよ、と思ってしまうわけであります。そして多くの人人車の従業員が、「破産という情報は確かにデマであり、本当の状況は人人車は今大量のリストラを行っている」といっているとのこと。調子が悪いのだけは間違ってないようです。すでに北京文庫氏は2018年11月と12月の2回にわたり営業と自動車評価の人員を合計200名ほどリストラしています。

 

 一か月ほど前に、人人車は成都市金牛区政府から40億元の資金サポートを受け、人人車の第二本部を設けようとしているとの話があります。地方政府が40億元?こんだけ資金があれば当分しのげると思うのだが、しかし資金の出し手が地方政府?しかも区レベル?よくわからんです。ホンマかよ。

 

 また、こんな話もあります。破産情報が出回ったのとほぼ同じ時期なのですが、北京分公司の60に鉛の従業員が1月と2月の給与と労働関連規定に基づいた離職補償を要求したというのです。これに対して会社側からの提案内容というのがびっくりです。

・出資して人人車の城市合夥人(都市パートナー)となる

・都市パートナーになりたくない場合は離職することも可。ただし、1月2月分の給料も離職補償もなし。

 

 都市パートナーとは何ぞやということですが、4万元を支払えば250件の自動車オーナー情報をもらうことができ、これがあると毎月5-6万元の収入が得られるとのこと。なお、これはあくまで情報提供料のようなもので、これとは別に従業員であれば1万元の保証金、契約期間半年、すぐに契約すれば4万元を3万元に値引きする、というものです。イメージとしてはフランチャイジーになってくださいというようなものといえるでしょう。しかし考えても見てください。潰れるのではないかという噂が出ている会社のフランチャイジーにこれだけの金を払ってなりたい人がどれだけいるでしょうか。自分だったら絶対嫌だ。これは人人車の従業員も同じで、これに乗っかろうとする人はほとんどいないとのこと。当たり前でしょう。よくこんな提案ができるなあ。

 

 さて、火の車ならぬ人人車、今までどんな会社がお金を突っ込んできたのでしょうか。

 

2014年7月(Aラウンド:500万米ドル):紅点創投中国基金

2014年12月(Bラウンド:2000万米ドル):順為資本、紅点創投中国基金、策源創投 

2015年8月(Cラウンド:8500万米ドル):テンセント産業共贏基金、策源創投、順為資本 

2016年9月(Dラウンド:1.5億米ドル):中民投、漢富資本、テンセント産業共贏基金、高価新浚、普思資本、紅点創投中国基金、策源創投、順為資本

2017年9月(戦略ファイナンス:2億米ドル):滴滴出行

2018年4月(戦略ファイナンス:3億米ドル):ゴールドマンサックス、滴滴出行、テンセント産業共贏基金

 

 以上しめて合計7.6億米ドル、ざっと840億円!一番最初に投資が入ったのが2014年7月なので、5年もたたずしてこれだけの金額を溶かしてしまったということです。恐ろしい。しかし、投資してきた会社の銘柄を見ますと、それはそれはもうそうそうたる名前が挙がっていますよねえ。ゴールドマンサックス、テンセント、滴滴。やられちゃいましたね。ま、こういう投資の世界は化けるときはものすごい化け方をするので、ヒット率は野球の打率よりも低くてよいと言いますが、それにしてもこれだけ損しちゃうと投資決定した人の心理的圧力はすごいだろうなあ。くわばらくわばら。