Date: 6月2019

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その7

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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その6

 

M「先ほど言いましたが、中国とのビジネスの特徴は後でお話します。中国の大陸風土、歴史などの要素が影響している様ですね。大連では仕事が終わると中国室の先輩と共に部屋で一杯やって中国に就いて色々教わったね。その人は小生より7歳上の人、確か中国の吉林省通化の生まれで、その後青島で育った。故に中国の事は良く知っていたね。面談出来るか否かは中国側担当者の都合で決まるので、時間が空くと海岸へ行ってビールを飲んだりしたね。そうだ!土日を利用して自分の生まれ故郷の瀋陽を訪問したなあーー。親が地図を書いてくれたので、今なら高速道路で3時間で行ける処を、一人で列車に揺られ、片道6時間かけて瀋陽に行ったね。勿論中国の列車を乗るのは初めて。当時の中国は電気機関車とかディーゼル車は無く全てSLで、因みにこのSLを中国語では“火車”と言うんだ。じゃ、日本で言う汽車は何か?此れは自動車を表す。“汽車”の“汽”は蒸気を表す。サイダーの様な炭酸水は汽水と言うね。ごめん、話が横道にずれた。瀋陽の話だね、瀋陽の駅に到着、この駅は東京駅にそっくりで、後で聞くに満鉄の総裁に東京市長を務めた後藤新平がなった時期あり、彼がそのそっくりを作ったと言われている。また大連駅は上野にそっくりで、今でもそのまま残っている。昔は特急アジア号と言う日本製SLが時速100KMでこの満鉄を走ったんだね。前回お話したが、会社の同期と以前中国東北地方を旅した時、大連でこのSL“特急アジア号”の現物を特別見せて貰った。大きな鉄の塊で迫力を感じる。今から70年以上前にこの大きな塊が満州の平原を走っていた、何となくロマンを感ずるね。また話が横にそれた、ごめん、それで、瀋陽の駅到着したら、現地ガイドが列車が着いたその降り口まで来て迎えに来ていた。現地で案内人に親が住んでいた場所、即ち私が生まれた場所に案内して貰って行ったが何も残っていなかった。戦後の国共内戦で市内は徹底的に破壊された様でね。残念でした。ただ、祖父が社長していた会社が残っていたので、外から写真を撮って帰国後祖父に見せた。大いに喜んでいたね。この会社が前回話した黎明なる会社で小生が数年前訪問して同じく写真撮影したら、物凄い剣幕で怒られた事は話したよね。」 (さらに…)

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その6

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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その5

 

私「何故ですか?日中の貿易は今や日米貿易を抜いてトップになっており、考えられません。」

M「今から約40年前の中国はようやく国が開けてきた段階。“井の中の蛙”と言う感じ。特に日本とのビジネスとなると、日本は品質がメタメタ厳しい。しかし中国は品質の不安定さ以外に納期、包装などでも大いに問題有りで、日本のユーザーも価格が幾ら安くても二の足を踏むでしょう。安い買い物でも結局は高く付くのです。今とは隔世の感が有りますね。ついでに言うと中国の輸出が猛烈な勢いで伸びて来ましたが、これはね、外資系企業が中国で製造を始めて、その技術、品質管理、経営面などで中国企業を指導し、中国人社員を教育した事などが大きく作用しているね。で、中々商売が決まらない、2週間滞在しても成果ゼロとはーー、と落ち込んでいた処、A商事の100%別会社より2,4DNCBという商品240トンと言う大量引き合い有り、これ土壇場でまとめた。ほっとしたのを覚えている。この後北京に行き、中国化学工業部とA商事との合作案件の商談にオブザーバーで参加して帰国しました。この成約した商品2,4DNCBはその後日本側よりキャンセルの話が出て、此れの処理でその後も大変であったけどね。」 (さらに…)

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その5

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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その4

 

私「へー!そんな事があったのですか。中国ではいろんな誘惑があるとは聞いていましたが、油断大敵、気を締める事ですね。私も注意します。特に赴任地の広東は地元の書記自身が嘆いていますよね。“広東は汚染されている”、って。」

M「この様な話は往々聞いたね。某製鉄会社の現地幹部も同様の女性問題を起こして留置場に入った。簡単に出してくれない。マスコミが気になる。中国の公安当局は社長の一筆が欲しいと言うので、本社では社長を拝み倒して何とか一筆を貰ったという話も聞いたね。中国側は中国人を侮辱したと映るので、いくら抗弁しても女性の言い分を認めるさ。男性の方は中国語もママならず、不利となるのは当然でしょーー。と、言う事で話は戻りますが、I商事は中国関係の人材は豊富で、多士済々の情況ですね。小生の先輩、後輩は中国好きな人が多いのです。この状況が中国ビジネスでは他社を大きく引き離している理由でしょうね。ごめん、話が大幅に横道に逸れたね」

 

私「いや、中々興味深いお話で思わず聞き入ってしまいました。で、色々準備されて大連に1979年夏に行かれた。今から38年前の事ですね。私が幼稚園に行っている時でしょうね。当時の中国、大連はどの様な雰囲気でした?」 (さらに…)

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その4

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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その3

私「その自衛隊基地襲撃、って私が生まれた時かな。初耳ですね。割腹ななんて、要は切腹ですよね?凄い事件でしたね。で、その後輩はその後どうしました?」

M「彼が入社した時かな、大陸の中国と日本は国交を樹立して、彼は大好きな台湾には行けず、大嫌いな大陸に行かされる事になったのですね。上海、大連に駐在しましたよ。大連で彼は当時の市長“薄熙来”の知遇を得て大連のビジネスでは大いに名を挙げたのです。この“薄熙来”氏はその後遼寧省書記、重慶市書記を歴任しまして、当時は将来国家主席になると言う見方さえあり、正に飛ぶ鳥の勢いが有りましたが、今の習近平主席との政争に負け、結局逮捕されて、政治生命を終えていますね。その薄熙来氏にI商事は大変お世話になり、その中の一つがI商事主催の大連ファッションショーで、これは中国東北地方の一大イベントになり、I商事の繊維部門はこのイベントのお蔭で大いに販路を拡大しましたよ。この薄市長にはこの後輩は仕事以外プライベートでも“大変”お世話になりましてね。」

 

私「何ですか?その、“大変”と強調されたのは。何か佳い事をして表彰されたのですか?家族ぐるみのお付き合いで、共産党幹部が利用する高級施設を無料で利用出来たとかーー。何でしょうか?」 (さらに…)

アリババのこれまでの資金調達の歴史

 昨日(6/4)ソフトバンクグループがアリババ・グループ株式の一部を資金化する取引に関連して、2020年3月期第1・四半期に約1.2兆円を税引き前利益として計上する見込額を突っ込んでそれが大成功を収めたのはよく知られていますが、実際にこれだけの利益を計上すると数字で示されるとあらためてその投資がいかに成功を収めたものであるのかがわかります。

 

 今や中国を代表する企業、世界的な大企業となったアリババですが、ソフトバンクを含むいろんなところから資金面でのサポートを受け今日に至っております。ここでは、アリババがいつどこからどのくらいの資金調達を行ってきたかについて紹介します。大きく8回に分かれ、一番初めは1999年10月になります。このころ少なくとも日本でのアリババの知名度はほぼなかったと思います。

 

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中国各地の人口流出入グラフ ~ここから何が読み取れるか~

 ここ最近ちょくちょくツイッターにも投稿してます。何気なく投稿したのが、予想以上に反響の大きかったものがありました。下の図がそうなのですが、中国の人口の流出入を色で表したものです。色が赤いほど流入が多く、色が青いほどは流出が大く、白色は安定を示しています。沿岸部はわかるとして、西部や中北部にも人が集まっており、中部は減っていっていることを示しています。

 

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 ニュースを出した側は経済力や労働力の推移について発信するつもりだったと思うのですが、ツイッター民は違う見方をします。ツイッター民じゃなくても同じように思う人はいると思いますが、多くの人がニュース発信者とは異なる考え方を持っています。それらのコメントがなかなか面白かったので、並べていきますね。 (さらに…)

商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その3

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商社マンOBが中国をふり返る ~本音の中国を語ろう(その二)~漸く、商売が出来ました その2

 

私「分かりました。チベットの問題は奥が深そうですね。さてその中国通ですね、その人は今どうしているのですか?中国駐在でしょうか?」

M「彼は、数年前にガンで亡くなったのです。齢50過ぎの早すぎる死でした。私は北京駐在の時一緒でしたが、酒、あの中国の強い酒をドンドン飲んで、よく騒いでいましたね。その無理がたたったのでしょう。惜しい人を無くしましたよ。私が上海から北京に引っ越して来て、その晩、彼の北京の社宅で小生に、夕食を御馳走してくれました。上海では荷造り、など全部自分で行い、食事もままならぬまま北京に飛んで来て、彼から“夕食、良かったら我が家でしません?”と誘いが来て、小生有難く受ける事にしたのだが、彼の奥様が作ってくれた本格的な和食が、ことのほか美味しかった。小生は空腹で調子に乗ってご飯を何べんでもおかわりをしたら、とうとう電機ガマのご飯が空っぽになって、彼の小さなお嬢ちゃんが“ご飯、無い”と泣き出す始末で、これには小生、お嬢ちゃん、奥様に平謝りに謝った、と言うことがあったね。懐かしい、しかししんみりとした思い出だよね。また小生の属する化学品部門の後輩ですが、見るからに中国人風の人がいまして、この人が北京滞在中は私も一緒でしたが、北京飯店でトラブルを起こしたのですな。どういう事かと言いますと、日本から来た客人と北京飯店で待ち合わせをしていたのですが、その後輩は寝坊して起きた時は時間を超過していたんだね。顔を洗わず粗末な服で北京飯店に駆けつけ、中に入ろうとしたら、ガードマンに呼び止められ“中国人は帰れ!ここは、外国人専用だ。中国人は立ち入り禁止となっている”と居丈高に言われた。彼は“俺は日本人だ!中国人じゃない!と大声で言ったのだが、彼の話す中国語は全く中国人と同じ、しかもボサボサの髪、無精ひげ、粗末な服、誰が見たって中国人である。ガードマンは”それなら、パスポートを見せろ!と言ったのだが、慌てて来たので持っていない。いかんともし難い状況で次第にやりとりがエスカレートして声は益々大きくなって行った。彼の客人はロビーで待っていて、“入口は妙に騒がしいなあ”と思って、よく見たら、会うべき人が中国人と騒いでいる。“これは直ぐ行って止めなきゃ、大変な事になる!”と感じて、大急ぎで現場に行き、事情を説明して、一件落着した、と言う詰まらん話もあるね。この外、私の3年後輩の中国室の人がいるが、この人は学生時代、“楯の会”に所属していてね。」 (さらに…)